2008年11月26日

ローマから東ローマへの転換点

東ローマ(ビザンツ)帝国の歴史の始まりがどこからなのか
というのは、非常に難しい問題です。

これは、元々中世におけるローマ帝国の形が、東ローマ(ビザンツ)
帝国であり、同一の国家なので明確な区切りをそもそもつけにくい。

という理由からです。これはわかるような気がします。
日本も飛鳥時代の日本と1,500年後の現代日本では、全く違います
が同じ国です。状況は同じです。

ちなみに、ローマから東ローマへの変遷を
わかりやすく日本に置き換えてみると、
以下のような状況になるのでは、ないでしょうか。

@昔は京都に首都があり、全国を治めていた日本政府。

A当地の都合上、東京と大阪に首都機能を分散移転。

B大阪政府は早々に滅び、西日本は蛮族の手に渡ったが、
 東日本は東京の政府の手に残った。

Cその後、東京の日本政府も勢力の増減があり、最後は領土が
 東京周辺だけとなり滅んだ。

すみません。書いていてSFのようになってしまいましたが、
こういう事だと思います。

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posted by 佐吉 at 06:59| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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