2008年12月06日

カール大帝のローマ帝国との関係

東ローマ帝国が中世に存在していた頃、
西欧にもローマ帝国がありました。


8世紀に有名なカール大帝が建設したローマ帝国(=フランク帝国)
10世紀に始まるオットー大帝の神聖ローマ帝国です。
両者ともローマ教皇より皇帝の位を授かり、ローマ帝国を
称しました。


特にカール大帝の時には東ローマも衝撃を受けました。
それまで「皇帝」はヨーロッパにただ一人であったからです。


「王」はそれまでにも数知れずいましたが、「皇帝」は
ローマ帝国の系統を引く東ローマ帝国にのみ
存在していたからです。


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昔のローマ帝国の時代にも属州で反乱を起こし「皇帝」を名乗る
人物が数多くおりましたが、当時の東ローマ帝国政府にも
カール大帝はそのような反乱を起こした人物の一人と
思えたのではないでしょうか?

東ローマ政府は、この時カール大帝の「皇帝」の位は認めました。
但し条件つきです。「フランク人の皇帝」として認めたのです。


ローマ人の皇帝はただ一人。という建前を死守したのです。


フランク人というとゲルマンの一部族ですが
ローマ人という概念は、世界を支配する帝国の国民という意味と
なります。同じ○○人と称しても概念として並列ではないのです。


ローマ的世界の部分的な支配者がフランク皇帝である、そのような
位置づけです。

皇帝の位は認めるが対等な存在とは認めないという非常に
手の込んだ対処の仕方ですね。

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posted by 佐吉 at 09:59| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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