2008年12月30日

最後のローマ皇帝:大帝ユスティニアヌス その3

ローマ皇帝としての責務を自覚するユスティニアヌス。

遂に彼は、ローマ法大全の編纂を越える大事業に
乗り出します。

すなわち、地中海世界の東西に渡るローマ帝国の復活です。

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533年、ユスティニアヌスは、内紛が生じている
北アフリカのヴァンダル王国への遠征を行います。
翌年、ヴァンダル王国は降伏。

535年、今度はイタリアに兵を送り東ゴート王国との
戦争を開始します。これはまずかった・・・。東ゴート王国は執拗に抵抗、なんとイタリアが最終的に併合されたのは、554年!
戦争が始まってから19年が経っていました。

554年に更にはスペインの西ゴート王国へも兵を送り、
スペイン東南部にあたる地域を奪回。

今の、イギリス、フランス、スイス、スペイン、ポルトガルに
あたる地域は未征服のままでしたが、
とにかく地中海全域の支配を回復。

ローマ帝国は一時とはいえ復活したかに見えました。


しかし彼の行った事業は非常に規模の大きいものであっただけに、
東ローマ帝国に与えたマイナスも非常に大きなものでした。

1.戦争によるイタリアの荒廃。

  東ローマが征服したイタリアは、長期の戦争で人口が
  わずか500人になってしまったそうです。
  かっての「世界の首都」   が・・・
  ローマ共和制以来の元老院も、この時に消え去りました。



2.重税により領土は疲弊⇔防衛力の弱体化

  戦争費用を賄うため+征服事業の黒字転換を急ぐあまり、
  領土内に重税をかけたため経済は疲弊。
  征服した地域のローマ帝国離れ、地中海世界の解体を促進する
  結果に・・・。
  パンとサーカスも徐々に削減されていき618年に最終的に
  取りやめられます。



3.中東、バルカン半島の防備が疎かに。

  長期の戦争期間中、ニ正面作戦を避けるために、
  これらの地域では、守勢に立ちました。
  金で平和を買い、軍備は手薄となりました。
  結果的に、ユスティニアヌスの後の時代に、

  ・ペルシアと長期間の戦争
  ・スラブ民族のバルカン半島進入

  につながっていきます。


  これらの要因が、重なり合い
  ユスティニアヌスの後の時代になると、
  東ローマ帝国は、周辺の国、民族から袋叩きにされます。

  背伸びして領土を広げすぎてしまったがための悲劇と
  いえるでしょう。
  この後東ローマ帝国は、急速に古代ローマ帝国の面影を
  無くしていきます。

  ユスティニアヌスは、華々しい征服事業を行い地中海一帯を
  おさめる大帝国の支配者として世を去ることが
  幸運にもできました。
  彼を「最後のローマ皇帝」
  とする所以です。




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posted by 佐吉 at 07:44| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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