2008年11月29日

ローマ帝国の系譜その2

ローマ帝国の系譜は、東ヨーロッパでは、

東ローマ(ビザンツ)帝国を通して、ロシア帝国
受け継がれました。

では西ローマの流れは・・・・

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西ローマ帝国消滅後は、

カール大帝のローマ帝国復興⇒オットーの神聖ローマ帝国建設とつながっていきます。

1806年の神聖ローマ帝国の
解体後は、神聖ローマ帝国の皇帝の家であったハプスブルグ家が、
オーストリア=ハンガリー帝国を建設します。

ドイツでは、神聖ローマ帝国の故地と言うことから19世紀には、
ドイツ帝国が建設されます。

ヒトラーのドイツは第3帝国とも言われますが、
これは、神聖ローマ帝国⇒19世紀建国のドイツ帝国⇒ヒトラーの
ドイツという流れを意識してのものです。


ナポレオンのフランス帝国・・・これはややローマ帝国から続く
「帝国」の流れとしては、唐突な感じを個人的には受けます。

このように西欧では、東欧と違い様々な国がローマの様々な
流れの中から帝国を称している事がわかると思います。

個人的には、
東ローマ⇒(ローマ+スラブ) ⇒ロシア帝国⇒ソビエト連邦
    ⇒現代のロシア

西ローマ⇒(ローマ+ゲルマン)⇒西欧文明 
    ⇒西欧文明トップとしてのアメリカ

という見方もできると思います。やや乱暴だと自覚してもいますが。
posted by 佐吉 at 10:32| Comment(1) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

ローマ帝国の系譜

ローマの歴史は非常に長いですね。

紀元前7世紀にイタリア中部に都市国家ローマが誕生し、
やがて地中海一帯を押さえて、ローマ帝国となり、
東西分裂して最終的に滅亡したのが1,453年。

実に2,000年の年数が経っています。

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それだけではありません。最後の東ローマ皇帝の姪が
モスクワ大公国に嫁いだ事を根拠に、モスクワ大公は、
以降「ツァーリ」=「カエサル」=皇帝を名乗ります。

これが後のロシア「帝」国の起こりです。
モスクワは第3のローマと呼ばれています。

ロシア帝国は歴史上ではつい最近といってよい1917年まで
存続していました。
たった90年前ですね。

まだまだあります。(以下続く)




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posted by 佐吉 at 06:59| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月27日

大帝「ユスティニアヌス」

東ローマ帝国史上、唯一の大帝ユスティニアヌス。

彼は、ゲルマン蛮族から
北アフリカ、イタリア、スペインの一部を奪取し、
地中海をもう一度「ローマの湖」とします。

凄いですよね。地図で見る限りでは領土が倍増です。

古代ローマに心酔するユスティニアヌスにとっては、
満足の行く成果であったのでしょう。


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ただ、彼の死後東ローマはかえって弱体化してしまったように
感じます。

それまでは、宿敵らしい宿敵といえばササン朝ペルシアくらいで
あったのでしょうが、
イタリアでは、ランゴバルド族
スペインでは、西ゴート族
バルカンでは、スラブ民族
と領土を広げたがために袋叩きに合っていますね。
で、弱ったところで、イスラム教にシリア、エジプト、
北アフリカを奪われた・・・と。

こうしてみると彼の事業は壮大なバブルであったといえるでしょう。
彼の死でバブルもはじけてしまったのですな。

ただし、周辺世界にこれほど大きな影響を与えた
東ローマ皇帝は、後にも先にも彼一人でしょう。
世界の動向を左右する偉大なるローマ皇帝。その最後の一人が
彼、ユスティニアヌスであったのかもしれません。


posted by 佐吉 at 22:53| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

ローマから東ローマへの転換点A

ローマから東ローマへの転換点について引き続き考えてみます。

東ローマ帝国の特徴と、その特徴が現れてきた時期を以下に
記載します。

@ローマ人の国
 ⇒紀元前7世紀の建国当初より。

A当初は、東西に皇帝が分立し、東ローマ帝国はその東方部分。
 ⇒395年に基本の形が出来る。そのそもそものルーツは、
  3世紀後半のディオクレティアヌス帝の帝国4分統治がルーツ。

Bコンスタンティノープルを首都とする。
 ⇒330年に遷都。

Cギリシア語を主要な言語とする。
 ⇒7世紀のヘラクレイオス朝以降。

Dキリスト教を国境とする。
 ⇒392年に国教化。

F領土は主に、バルカン半島と小アジア
 ⇒8世紀に大枠が固まる。

こんなところでしょうか。
バラバラですね。4世紀〜8世紀頃まで緩やかに
変化が進んでいったということでしょう。

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posted by 佐吉 at 07:14| Comment(0) | 東ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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